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COLUMNコラム・ザ・ちゃんこ

百人一首の季節

とりとめないわ 第17話
とりとめないわ 門田陽

今年の正月は例年になく穏やかな天気で気分もよく、九州の実家の近所を散歩していると百人一首を読み上げる子どもの声が聞こえてきて何だか一気に懐かしくなり東京に戻るとついAmazonで百人一首を購入したのです。(一行一段落という悪文の見本みたいな書き出しでスミマセン)

あれは僕が小5だったと思うので昭和50年頃、なにがきっかけかは忘れましたが家(父母と妹の四人家族)で百人一首が流行りました。僕はシンプルに沢山の枚数を集めるのが楽しくて最初は一人勝ち(他の三人よりは運動神経がよかった)だったのですが、2週間くらい経つと妹に枚数を抜かれました。そしてそれ以後まるで敵わなくなって一抜けたをした苦い経験があります。妹は一首一首次々と覚えていったのですね。僕は覚えるのはしんどかったので反射神経だけで挑むのですがまるで歯が立ちません。それでもどうしても取りたい札がありました。大好きな一首。陽成院が詠まれたこの歌がそれです。

 

筑波嶺の 峰より落つる みなの川

恋ぞつもりて 淵となりぬる

 

好きになった理由は単純。作者の名前の中に僕と同じ「陽」の字があったこと。そしてもうひとつの理由がみなの川です。6才の頃から相撲ファンだった僕は、その昔、男女ノ川(みなのがわ)という名前のとんでもない力士がいたことをちょうど当時読んだムック本(青春出版社かカッパ・ブックスかだったと思うけど?)で知ったばかりでした。

第34代横綱男女ノ川。お古い相撲ファンはご存知かもしれませんが、おそらくあまり 馴染みがない力士ではないでしょうか。昭和の前半に土俵を沸かした一人ですが、同時期に今だに破られていない69連勝の記録を誇る双葉山(第35代横綱)がいたことも影響しているのかもしれません。しかし間違いなく凄い人です。

今回改めて調べて知ったのですが、男女ノ川は第1号(現制度前)の横綱一代年寄(相撲界に大きな功績を残した力士に認められる年寄で資格は本人一代限り)だったのですね。知りませんでした。それよりも子どもの頃の僕が大いに興味を持ったのは横綱引退からわずか三年で角界を廃業したあとの人生です。いろんな事情で衆議院選挙に立候補して落選、そのあとなぜか私立探偵をしています。193cm155kgの巨体ですし、十分過ぎるほど顔バレしているので、尾行のたびに気が付かれすぐにやめたそうですが、それからは役者、保険の外交員、金融業等もやり晩年は料理屋で下足番も勤めたとのこと。いやー、波乱万丈という四字熟語よりも波乱万丈な言葉ってないものでしょうか。

写真①

「スゲーぜ、みなの川!」と心で叫びながら、急にムラムラ。みなの川に行かなくちゃ!と傘がない的(古ッ)感情に襲われ向かいました、いざ初めての筑波山。ネットである程度調べたものの、わからないまま川端要壽著「奇人横綱男女ノ川」を片手につくばエクスプレスに乗りました。さらにバスに乗り継ぎ筑波山神社入口で降りて観光案内所のおじさんに百人一首のみなの川を見たい旨を話して場所を教わりました。行きました。見ました。やはり無計画はいけないです。想像していたみなの川と違いました(写真①)。地元の人の話では上流の水源地はきれいな水が流れているそうですが、下は雨が降らないと流れがわからないくらいの川なのだそうです。

うーむ、何か肩透かしを食った感じで、とぼとぼ歩いて行くと、なんとそこには男女川(写真②)!うれしくなって、自分へのご褒美(何の?)に純米と本醸造を購入して家路につきました(写真③)。めでたしめでたし。

ところで、この一月場所後に第72代横綱に昇進した稀勢の里は、この男女ノ川以来の茨城県出身の横綱であるという話はまたの機会に。

Profile of 門田 陽(かどた あきら)

門田陽

電通第5CRプランニング局
クリエーティヴ・ディレクター/コピーライター
1963年福岡市生まれ。
福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州を経て現在に至る。
TCC新人賞、TCC審査委委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。
趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

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